(左上)十二尊連坐仏残欠(奈良県桜井市山田寺跡出土,7世紀後半)
       (右上)小形方形仏(奈良県高市郡高取町壺坂寺
(南法華寺)跡出土,8世紀初頭)
(下)方形三尊仏残欠(奈良県明日香町橘寺跡出土,7世紀後半)

 山田寺出土例は、端部で割れるパルメット唐草文の天蓋下に、二重円光の光背を背負って結跏趺座し、禅定印を結ぶ如来像12体が半肉彫りで表現され、本来上下3段、左右4列に並ぶ。推定長17cm前後、幅13cm。漆痕が遺る。
 橘寺出土例は、遺存縦
9.7cm、横18.5cm、厚さ2.9cm。上方へ開く後屏をもった台座に倚座する如来像は、「偏袒右肩」の着衣法で、二重円光を背負う。欠失部分には、脇侍の菩薩像があったと考えられる。如来像頭上には天蓋、その左右に天人が飛ぶ。空間には、菩提樹とその枝葉が描かれる。表面には白色粘土や黒漆の痕跡が残っており、赤色塗彩、金属箔などで彩られていたと推定される。
 南法華寺出土例は、縦6
.4cm、横5.0cm、厚さ1.0cm。頭光の代わりに六つの連弧文が表現され、宣字形須弥座に倚座し、右腕を曲げ、手のひらを前方に、左腕を膝前に置く如来像が浮彫りにされている。橘寺例同様に、表面に白色粘土と黒漆の痕跡を残す。如来像は、「偏袒右肩」の着衣法で、両足は踏割り蓮華上におく。背障や残りの空間は、ヴィヤーラカやマカラの怪獣文と、唐草文様が、広がって埋め尽くされている。この図像は、45世紀前半におけるインド・グプタ朝期の仏教美術に影響を受け、特に則天武后の時代(690〜705年)の前後に盛行した様式であり、所謂「グプタ式背障装飾」と呼ばれるものである。(渥美)


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